和同開珎を「国家・経済・技術・文化」から読み解く

和同開珎は、8世紀初頭の日本で国家が主導して鋳造・発行した銭貨で、律令国家が貨幣で社会を動かすことを本格的に試みた象徴です。出土品・官撰史料・理化学分析・交通網研究などが積み上がった現在、和同開珎は「最初の貨幣」だけでなく、国家の財政・物流・法執行・技術(鋳造)・宗教実践までをつなぐ総合テーマとして捉えるのが有効です。近年は、飛鳥池遺跡出土資料の国宝指定(答申)などによって「前史(富本銭・無文銀銭)」が社会にも広く共有され、研究史そのものが更新されています。

概要

和同開珎とは何か

和同開珎は、国家が鋳造した銅銭・銀銭(少なくとも2材質が確認される)で、丸い外形と中央の四角い穴(方孔)を持つ東アジア型の「方孔円銭」です。出土・収蔵情報では「日本で最初の流通用の鋳造貨幣」と説明されることが多く、学校教育や博物館展示でも古代貨幣の代表格として扱われてきました。

ただし重要な注意点があります。かつては「最初の鋳造貨幣=和同開珎」という理解が一般的でしたが、1998年の発掘で富本銭が和同開珎に先行して鋳造されていたことを示す発見があり、さらに708年以前に無文銀銭が用いられていたことも示されています。したがって現在は、「和同開珎=最初」ではなく、「和同開珎=国家が流通を意図して本格的に押し出した銭貨」と位置づける方が誤解が少ないです。

なぜ重要か

和同開珎が重要なのは、単に古いからではありません。国家が税・賃金・価格表示などに銭貨を組み込み、物品中心の財政・経済運用を名目貨幣(法定的なカウント単位)へ寄せようとした点にあります。日本銀行貨幣博物館の解説では、発行後に「税を銭貨で納められるようにする」「給料の一部を銭貨で支払う」など制度設計へ組み込んだことが明示されています。

このため、和同開珎は「国家建設(律令体制)を、お金というインフラで支えようとした実験」として読むと、政治史・経済史・技術史・宗教史を横断して理解できます。

見た目と仕様の手がかり

個体差は大きいものの、博物館データベースでは直径2.5cmの例が示されています。京都国立博物館の収蔵品情報でも直径2.5cmが一例として確認できます。

一方で、同じ「和同開珎」というラベルの中に、鋳造技術・書体・孔(穴)の広狭などで多様なタイプが含まれることも重要です。日本銀行の所蔵目録解題では、銀銭/銅銭、古鋳/後鋳(いわゆる古和同・新和同に対応する整理)など複数の大分類・細分類をもち、径寸や重量に不統一さがあること自体が「鋳造技術の拙劣さ・小規模鋳造」を示唆すると説明されています。

時代背景と一次情報

史料上の出発点と「和同開珎」という名前のズレ

和同開珎を語る一次史料の中心は、官撰の歴史書である続日本紀です。ただし研究者向けの議論ではよく指摘される通り、『続日本紀』の該当箇所に「和同開珎」という銭名そのものが明記されるわけではなく、「この年に銀銭を行う」「銅銭を行う」といった形で記述されます(銭名の同定は、文献・考古・古銭学の総合判断で行われてきた)。この論点は、博物館講座の記録でも明確に説明されています。

銅の献上・改元・国家事業の気配

和同開珎の発行は、武蔵国秩父郡からの自然銅(和銅)の献上を契機とする説明が広く採られています。学術論文でも『続日本紀』の記述として、秩父郡から和銅が献上され、年号が「和銅」へ改元されたことが述べられています。

ここで重要なのは、「銭を作る」だけでなく「銅を確保し、鋳造拠点を整え、流通させる」までを国家がまとめて企図した点です。実際、貨幣鋳造を担う機関(鋳銭司)に関する議論や、複数地域での鋳造可能性は、後述する考古資料・研究史の中核になります。

年代の骨格

貨幣史年表(日本銀行公開資料)では、708年に和同開珎(銀銭・銅銭)の発行、709年に銀銭の私鋳禁止、銀銭の廃止と銅銭への一本化、さらに711年以降の政策展開が並べられています。これにより「銀銭が短期間で整理され、銅銭中心へ寄せた」流れを、一次公開資料ベースで押さえられます。

また銀銭が希少であることは、現物発見の文脈でも語られます。例えば自治体の出土資料解説では、銀銭は全国で40例あまりという希少性に触れています。

近年の研究動向を示す象徴的トピック

2026年3月、文化審議会が文部科学大臣に対し、飛鳥池遺跡出土品(富本銭の鋳型や工具類を含む)を国宝に指定する答申を行ったことが、奈良文化財研究所の公式発表として公開されています。これは「和同開珎だけを見る」のではなく、前史(富本銭・工房遺跡)を含めた古代の貨幣生産の実相へ視野が広がったことを、一般読者にも分かりやすく示す出来事です。

多角的な視点

政治的視点

和同開珎は、律令体制の国家運営をお金へ接続する試みとして政治史的に読めます。日本銀行の解説は、律令国家が中国から制度を取り入れ中央集権政府を築く過程で、モデルとなる中国銭を参照しつつ銭貨を発行した、と整理しています。

さらに政治の現場では、「流通させる」ために法とインセンティブが動員されました。代表例が蓄銭叙位(一定量の蓄銭に応じて位階を与える)で、研究論文では『続日本紀』該当条の内容(銭の用・百姓の習俗・位授与の条件、さらに私鋳銭への重罰化など)を示しながら、政策意図と実態のギャップを扱っています。

この構図は、現代の政策論にも似ています。つまり「制度を作る=社会が自動的に動く」ではなく、信認(受容)を得るための設計(税・賃金・価格・罰則・供給量)が必要だった、という点です。

経済的視点

経済面で押さえるべき第一点は、当時の基礎が物品財政だったことです。租庸調などの税は本来、米・布などの物品を中心に設計され、銭貨は後からそこへ換算ルールとして差し込まれました。日本銀行の展示資料では、調庸物の運送に際して「布1常=銭5文」といった交換率を定め、銭貨納入を可能にしたことが説明されています。

第二点は、賃金支払いによる需要創出です。同資料では、貴族の給料の一部が711年から銭で支払われたこと、さらに都の造営など国家プロジェクトの労働者賃金が712年冬から銭で支払われ、成人男子1人につき1日1文だったことが示されています。

この「日当1文」は、和同開珎が単なる象徴ではなく、労働動員と都市建設の現場で使わせる仕組みを作ろうとしたことを意味します。造幣局の公開資料も、物々交換→鋳造貨幣→中国銭流入という長期推移の中で、708年の和同開珎鋳造を古代段階の起点として位置づけています。

ただし、経済的に「成功した通貨」だったかは別問題です。日本銀行の解説は、皇朝十二銭の段階で銭貨の小型化・品質低下(鉛含有増など)や、新銭1枚=旧銭10枚の交換比率設定が価値低下・信認低下を招いた、と説明します。和同開珎そのものの評価も、この後続銭を含む古代国家の貨幣政策の成否の中で相対化されます。

地政学的視点

地政学的に見ると、和同開珎は「国内資源の発見→国家が鋳造→広域流通を狙う」という資源・交通・統治のセットです。資源面では、自然銅の献上や8世紀初頭の鉱物資源開発の進展が学術的に述べられ、和同開珎の原料銅産地が議論されてきました。

交通・流通面では近年、出土データを用いた研究が進みました。科研費プロジェクトの成果報告は、全国784遺跡・総数6362点の出土情報をもとに分布を再検証し、「畿内周辺に限られる」という従来理解を揺さぶり、駅路(幹線交通)沿いに分布が伸びる傾向を示しています。これは調庸運脚や役夫が帰郷途上で飢苦に陥るという社会問題への対策として、旅の途中で食料を買えるよう銭貨を持たせる政策の反映かもしれない、という解釈が提示されています。

この見方を採ると、和同開珎は「市場が自然に発達して通貨が必要になった」というより、「国家が交通網・徴税・労働動員を回すために旅と補給の決済手段を作ろうとした」面が強くなります。

技術的視点

和同開珎は鋳造貨幣です。鋳造には、金属を溶かし、型に流し、仕上げる工程が必要で、坩堝(るつぼ)・羽口(ふいごのノズル)・鉱滓(スラグ)など関連遺物が残ります。木津川市の「銭司遺跡」紹介では、坩堝・羽口に加え、銅銭だけでなく銀銭も出土したと説明され、地名自体が鋳銭司に由来するとされています。

また、鋳型そのもの(銭笵)が残る事例は技術史の核心です。東京国立博物館の展示情報には「和同開珎の鋳型(casting molds)」が含まれ、東京国立博物館の公開情報として鋳型資料の存在が確認できます。

分類・製造技術の成熟度をめぐっては、同じ「和同開珎」でも製作の整い方が異なることが、目録解題で整理されています。古鋳の段階は径寸・厚味・重量が不統一で、手工業的で小規模な鋳造だった可能性が示唆される一方、後鋳(新和同)では銭容が整い個体差が比較的少ない、とされています。

加えて、科学分析(成分分析・鉛同位体比分析など)は「どの鉱山由来の金属か」「後代に鋳潰して再利用されたか」など、文献だけでは届かない論点へ踏み込みます。日本銀行のディスカッションペーパーでは、和同開珎を含む8〜10世紀銭貨を対象に鉛同位体比分析を行い、旧銭回収・再利用(鋳潰し)と政策の関係を検討する枠組みが示されています。

文化・宗教的視点

和同開珎は「買い物の道具」だけでなく、宗教実践や儀礼にも入り込みます。代表例が、寺院の鎮壇具(建物の儀礼的奉納品)としての使用です。東京国立博物館の展示情報には「興福寺鎮壇具 和同開珎銅銭」が明示され、宗教施設の基壇・須弥壇下などから出土する文脈が共有されています。

また、墓の副葬・埋納の文脈も重要です。e国宝の解説では、特定の墓の調査で銀銭が出土したことが記され、銭貨が個人の葬送・記憶の装置にもなっていたことが分かります。

さらに、大量埋納(いわゆる「埋蔵銭」)は、人々が銭貨をどのように扱ったかを示す強い手がかりです。京都国立博物館のデータベースでは、1957年に石川県金沢市南部で545枚が一括出土し、紐で連ねて土器に納められていたこと、埋納理由は不明だが単一地点出土数として最大級であることが説明されています。

歴史的視点

和同開珎は、その後の「皇朝十二銭」へつながります。一方で、10世紀後半には国内での鋳造が途絶え、中国銭(渡来銭)が広がる方向へ転じます。東京国立博物館の展示解説は、10世紀後半に鋳造が止み、中国からの銅銭輸入が一般化したと述べています。

造幣局のページでも、平安後期に中国銭が流通し、対価として砂金が輸出されたことが説明されています。つまり和同開珎は「日本の貨幣史の始点」であると同時に、「国産銭がいったん途絶える」という長期史の中間点でもあります。

研究史と争点、当時の課題

研究史の更新ポイント

研究史を短く押さえるなら、争点は主に三つです。

第一に「最初の貨幣」像の更新です。和同開珎が最初とされてきた理解は、飛鳥池遺跡の発掘成果によって、富本銭・無文銀銭を含む前史が明確になり更新されました。日本銀行のFAQはこの更新点を一般向けに明快に示しています。

第二に「史料と現物をどう整合させるか」です。『続日本紀』の記述はあるが銭名がない、銀銭と銅銭の扱いが短期間で揺れる、私鋳銭の規制が早期に現れる、といった点をどう読むかが論争を生みました。日本銀行委託研究論文では、初期貨幣研究がいかに論争を経てきたか、史料校訂(「前銭/前銀」など)も含めて整理されています。

第三に「同じ銭名の中の多様性(分類)」です。古銭学の分類(古和同/新和同など)と、考古学的状況、さらに計測・科学分析をどう接続するかが課題でした。日本銀行の目録解題や展示図録は、分類用語(古和同様など)の扱いが誤解を生みやすいことまで含めて説明しています。

当時の課題とリスク

当時の制約を、問題リストではなく因果でまとめると理解が進みます。

まず最大の制約は「信認(使ってよい/使えるという共同了解)」です。国家は税の銭納・賃金の銭払い・位階インセンティブなどで需要を作ろうとしましたが、そもそも人々の生活は米・布などの物品が強く、銭の便益が実感されにくい場面も多かったと考えられます。

次に「偽造・私鋳」という法執行上の課題です。通貨は利益機会を生むため、偽造が早期に問題化します。日本銀行の論考は、和同開珎鋳造の翌年には私鋳銭規制の詔が出たこと、さらに数年後には刑罰が強化されたことを、通貨偽造罪史の一部として整理しています。

さらに「原料制約と品質劣化」です。銅の不足や品質低下、旧銭回収・再鋳造、交換比率の設定などが積み重なると、銭の実質価値が下がり、信認が落ちます。日本銀行の解説は、鉛含有増など品質劣化と交換比率が信認を損なった、という典型的な失敗パターンを示しています。

現代に引きつけた「行動指針」

和同開珎から引ける行動指針は、歴史の教訓というより「制度を見る目」の話です。

第一に、お金はモノではなく社会の合意だと理解することです。国家が制度を作っても、税・賃金・交通・罰則・供給の整合が取れないと、合意は保てません。

第二に、インフラ(交通網・物流)と決済はセットだと捉えることです。出土分布研究が示すように、駅路沿いの流通という見立てが妥当なら、通貨は市場の中心だけでなく「移動(旅)と補給」の局面で必要とされました。現代でも、災害・物流・地域交通の寸断は決済手段の脆弱性を露呈させます。

よくある疑問Q&A

Q. 和同開珎は「日本で初めてのお金」なのですか?
A. 長くそう説明されてきましたが、現在は整理が進んでいます。708年発行の和同開珎より前に富本銭が鋳造されていたこと、さらに708年以前に無文銀銭が用いられていたことが発掘成果などから示されています。一方で和同開珎は「国家が流通を狙って本格的に発行した銭貨」としての重要性が大きい、と捉えるのが現在の理解に近いです。

Q. 「わどうかいちん」なのか「わどうかいほう」なのか、読み方が揺れるのはなぜですか?
A. 銭文(文字)の字形が多様であること、古銭学の分類史、そして珎という字の扱い(表記史)などが絡むためです。博物館の目録解題でも、字形・分類の議論が詳しく説明されています。

Q. なぜ真ん中に四角い穴があるのですか?
A. 起源は中国の半両銭まで遡るとされ、円=天、方=地という観念と結びついた縁起の良い形と説明されています。また鋳造後の仕上げ工程で棒を通して磨くなど、実務上の利点もあったとされています。

Q. 1文で何が買えたのですか?
A. 一般化は難しいですが、少なくとも国家は「賃金=1日1文」という形で計算単位に組み込みました。賃金・税・交換率の具体例は日本銀行の展示資料で説明されています。

Q. 和同開珎は全国で普通に使われたのですか?
A. かつては畿内中心という理解が強かった一方、近年の出土データ研究では、駅路沿いに畿外へ分布が伸びる傾向が示されています。ただしこれは「全国で市場取引の主役だった」という意味ではなく、税の運搬や役夫の移動など、国家が関わる移動と補給の局面で受容された可能性を示すものです。

Q. 銀の和同開珎があるのは本当ですか?なぜ珍しいのですか?
A. 銀銭は実物が確認されており、出土例の解説でも触れられます。銀銭が短期間で整理された(銅銭中心へ一本化した)流れが年表でも示され、結果として現存・出土が少数例になったと考えられます(ただし厳密な理由は史料解釈が絡むため断定しません)。

Q. どこで作られたのですか?「鋳銭司」は現代でいう何ですか?
A. 鋳銭司は現代でいえば造幣機能に近い官的機関です。候補地・関連遺跡は複数あり、坩堝・羽口など鋳造関連遺物が出る遺跡も自治体が公開しています。ただし「ここが唯一の製造地」と確定できない点は、現時点では不明として整理するとよいです。

Q. 和同開珎から現代人が学べることは何ですか?
A. 「通貨は信認で成り立つ」「制度設計は税・賃金・交通・供給・取締りがセット」「品質劣化や交換比率設定は信認を崩す」という3点を、歴史の具体例として学べます。これは昔話ではなく、現代のキャッシュレス化や地域通貨、危機時の決済にも通じます。

参考

  • 日本銀行金融研究所 貨幣博物館.(英語トップ)Currency Museum Bank of Japan. https://www.imes.boj.or.jp/cm/english/ (閲覧日 2026-04-02)
  • 日本銀行金融研究所 貨幣博物館. お金の歴史に関するFAQ. https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/historyfaq/ (閲覧日 2026-04-02)
  • 日本銀行金融研究所 貨幣博物館. (展示資料PDF). https://www.imes.boj.or.jp/cm/research/zuroku/mod/07kikaku_wadocatalogue11-15.pdf (閲覧日 2026-04-02)
  • 日本銀行金融研究所 貨幣博物館. 主な貨幣関連事項(年表PDF). https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/mod/nenpyo.pdf (閲覧日 2026-04-02)
  • 日本銀行金融研究所. 松村恵司. 2004. 「日本初期貨幣研究史略:和同開珎と富本銭・無文銀銭の評価をめぐって」委託研究論文PDF. https://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/04-J-14.pdf (閲覧日 2026-04-02)
  • 日本銀行金融研究所. 佐伯仁志. 2004. 「通貨偽造罪の研究」PDF. https://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/kk23-h-2.pdf (閲覧日 2026-04-02)
  • 日本銀行金融研究所.(鉛同位体比分析を含むディスカッションペーパー)2002. IMES Discussion Paper 02-J-30. https://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/02-J-30.pdf (閲覧日 2026-04-02)
  • 文化遺産オンライン(文化庁連携). 和同開珎(解説・所蔵館リンク). https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/456644 (閲覧日 2026-04-02)
  • e国宝(国立文化財機構). 和同開珎(銀銭)関連ページ. https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100365&content_part_id=3&content_pict_id=0&langId=ja&webView= (閲覧日 2026-04-02)
  • 東京国立博物館. 展示情報(古代銭・鋳型等を含む)“Ancient Coins Item List”. https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=6059&lang=en (閲覧日 2026-04-02)
  • 東京国立博物館. 展示情報(興福寺鎮壇具 和同開珎銅銭を含む). https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=3346&lang=ja (閲覧日 2026-04-02)
  • 京都国立博物館. KNM Collection Database: Wado Kaichin Coins(出土一括例・直径情報). https://knmdb.kyohaku.go.jp/eng/6515.html (閲覧日 2026-04-02)
  • 造幣局(Japan Mint). History of Japanese Coins. https://www.mint.go.jp/eng/kids-eng/eng_kids_history.html (閲覧日 2026-04-02)
  • 木津川市. 銭司遺跡(鋳銭司跡). https://www.city.kizugawa.lg.jp/0000001924.html (閲覧日 2026-04-02)
  • 奈良文化財研究所. 2026. 「奈良県飛鳥池遺跡出土品の国宝指定…」公式発表. https://www.nabunken.go.jp/news/2026/03/20260326press.html (閲覧日 2026-04-02)
  • 奈良県(万葉文化館). 2026. 「奈良県飛鳥池遺跡出土品」が国宝に指定されます! https://www.pref.nara.lg.jp/n046/p107011.html (閲覧日 2026-04-02)
  • KAKEN(科研費). 研究課題 18H00752「和同開珎の生産と流通をめぐる総合的研究」概要ページ. https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-18H00752/ (閲覧日 2026-04-02)
  • KAKEN(科研費). 研究成果報告書PDF(18H00752). https://kaken.nii.ac.jp/file/KAKENHI-PROJECT-18H00752/18H00752seika.pdf (閲覧日 2026-04-02)
  • 佃栄吉. 2022. 「奈良大仏建立に使われた鉱物資源とジオパーク」J-STAGE掲載. https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosocabst/2022/0/2022_224/_article/-char/ja/ (閲覧日 2026-04-02)
  • 松村恵司. 2007. 「和同開珎をめぐる諸問題」奈良文化財研究所リポジトリPDF. https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/7980/1/BA8697693X_1_397_430.pdf (閲覧日 2026-04-02)
  • 竹内亮. 2021. 「七〜八世紀の貨幣鋳造機関」PDF. https://www.manyo.jp/ancient/report/pdf/report19_02_takeuchi.pdf (閲覧日 2026-04-02)
  • 黒川古文化研究所. 「ここまでわかった⁉和同開珎」講座記録PDF. https://www.kurokawa-institute.or.jp/files/libs/1301/202006011422047885.pdf (閲覧日 2026-04-02)
  • 黒川古文化研究所. 和同開珎銭笵(鋳型)紹介ページ. https://www.kurokawa-institute.or.jp/pages/59/ (閲覧日 2026-04-02)
  • 鳥取県. 鳥取県で見つかった「和同開珎」について(発掘調査の概要). https://www.pref.tottori.lg.jp/item/1020186.htm (閲覧日 2026-04-02)

コメント

タイトルとURLをコピーしました