天武天皇・持統天皇は、壬申の乱を経て高まった王権を背景に、飛鳥浄御原令(現存しないが後世史料から内容が推定される法体系)や戸籍編成、藤原京造営などを通じて、のちの律令国家の骨格を固めた時期を代表する統治者です。とくに、発掘で出土した木簡(行政文書)や工房遺跡の情報は、史書だけでは見えにくい「実務としての国家運営」を具体化します。
一般に飛鳥時代は、推古朝から持統朝の藤原遷都までの約1世紀として語られますが、その終盤(天武・持統期)は「制度(法・官僚制)」「台帳(戸籍・課税)」「都城(都市計画・土木)」「対外危機への備え」が同時進行で組み上がった局面です。
この記事は、初心者がつまずきやすい点(史料の限界、推定の範囲、学説対立)を先回りしつつ、政治・経済・地政学・技術・宗教文化までを一つの見取り図にまとめ、「他者に説明できる理解」を到達点に置きます。
概要
天武天皇・持統天皇を扱う際の結論は、「2人を連続した政権プロジェクトとして見る」が最も誤解が少ない、という点です。天武朝で設計が進み、持統朝で実装が加速した領域が多く、都城・法・台帳・祭祀が相互に支え合って、国家の運用可能性(徴税・動員・儀礼・外交)を底上げした、と整理できます。
この時期を理解するためのスコープ(扱う範囲)は、だいたい以下です。
まず国内では、壬申の乱後の権威確立を背景に、官僚制と身分秩序、戸籍・課税台帳、都城建設が編成されます。
次に国外では、朝鮮半島情勢の激変(百済・高句麗の滅亡と新羅の台頭)と、それに伴う防衛拠点整備、対外関係の再設計が進みます。
最後に史料面では、後世編纂の史書(例:日本書紀)だけに依存すると、後代の観念(国号・称号・制度)が遡って描かれる危険があります。だからこそ、同時代~近接年代の出土文字資料(木簡)や発掘報告、公式機関のデータベースを合わせて読み、確度の高い部分/推測部分を切り分ける必要があります。
時代背景
地理(舞台)
政治の中枢は内陸の盆地(奈良盆地)に置かれ続け、飛鳥地域から藤原地域へ重心が移ります。飛鳥時代を「明日香村周辺に都が営まれた時代」と説明する公的資料もあり、飛鳥から藤原への遷都(694)が区切りとして強調されます。
環境(植生・資源)
古代都城周辺の環境は、近年は植物遺体(花粉・大型植物遺体など)から復元する研究が進み、奈良盆地の遺跡群(藤原京・平城京を含む)で出土した植物遺体分類群を比較し、より具体的な植生景観を提示しようとする試みがあります。ただし、堆積過程や定量性の問題が簡単に解けないため、研究上は「量」より「種類(分類群の存在)」に着目するなど、方法上の制約も明示されています。
ここは環境復元が何でもわかる魔法ではなく、どの範囲なら言えるのか(例:森林タイプや栽培植物の存在可能性)を慎重に語る必要があります。
人口(どこまで言えるか)
この時期の人口を一発で言い切る統計はありません。代わりに、国家が人と土地を把握しようとした「台帳」そのものが重要になります。全国的な戸籍としては、670年の庚午年籍(現物は残らず内容不明)と、690年の庚寅年籍(浄御原令の戸令にもとづく)が節目として説明されます。
つまり人口推計は「推測」です。ここでは、国家が戸籍を整備し始めた=数えられる社会へ向かった、という構造理解にとどめ、数字は断定しません。
東アジア情勢(外圧の前提)
7世紀後半の対外環境は激変します。百科事典級の概説として、旧新羅が唐と同盟して百済を660年に、高句麗を668年に滅ぼし、統一新羅期へ至る流れが示されます。
この前提の上で、日本側では白村江敗北後の防衛体制が重視され、九州北部での防衛拠点整備が語られます。実際、大野城跡(山城)は663年の敗北を受け、唐・新羅の侵攻に備えて665年に築かれた、という説明が公的ストーリーとして提示されています。
政治と法
壬申の乱の意味(権威と再編の起動スイッチ)
壬申の乱は、天智天皇の後継をめぐり、同天皇の子である大友皇子と、弟(大海人皇子)側が争った内戦として整理されます。この内戦を経て、大海人皇子側が勝利し、天皇権威が高まった結果、中央集権体制への準備が加速した、という筋道で説明されます。
ここで注意点があります。史書(日本書紀など)は後世の政治理念を帯びやすく、記述はそのまま史実ではなく政治文書として読む必要があります。したがって、乱そのものの経過詳細は、出土文字資料や他史料と突き合わせた範囲で語るのが堅実です。
飛鳥浄御原令(現存しない法の読み方)
飛鳥浄御原令は現存しません。にもかかわらず重要なのは、後代史料の記述や制度の痕跡から、内容が大宝律令に近いと推定されるためです。さらに、律(刑法体系)が編纂されたかは諸説あり、近年は「非制定説が有力」と明示する公的解説もあります。
氏姓再編(八色の姓)と官僚化
天武期の政策として、氏族秩序を再構成する「八色の姓」が語られます。公的方針資料でも、天武朝の特徴として「八色の姓」制定が挙げられています。
また、一次データに近い証拠として、奈良文化財研究所の木簡データベースでは、朝臣(八色の姓で制度化されたカバネ)について、表記が朝臣に完全統一されておらず別表記も見えること、朝臣表記の古い例が藤原宮出土木簡にあることが解説されています。制度が紙の上で完成した瞬間ではなく、現場の表記・運用が揺れつつ整っていく様子が具体的に見えます。
皇統運営(持統朝の政治技術)
持統朝は、天武崩後に当初予定された後継(草壁皇子)が早く亡くなるなど、皇位継承が不安定になり得る条件を抱えます。だからこそ、法令整備と都城建設を進め、統治の型を制度として固定しようとした、と読みやすいです(ここは史料からの構造的推論です)。
結果として、藤原遷都(694)ののち、孫の文武天皇へ譲位し、701年の大宝律令、710年の平城遷都へと接続する流れが作られます。
経済と社会
「お金の経済」より「台帳と貢納の経済」
この時代の基調は、貨幣経済というより、戸籍・計帳による人身把握と、租・調・庸のような貢納(現物・労役)です。公的な歴史叙述でも、庚午年籍→庚寅年籍→大宝令の戸令へ、という台帳整備の連続性が説明され、計帳は調庸収取の基本台帳として毎年作られた、と整理されています。
戸籍の節目(670・690)と編戸
庚午年籍(670)は「最初の全国的戸籍」とされる一方で現物が残らず内容不明です。続く庚寅年籍(690)は、浄御原令の戸令に基づく戸籍で、居住地にもとづく人民把握(編戸)と一体で進んだ結果と説明されます。
木簡が見せる税・物流・行政区画
奈良文化財研究所の木簡庫データベースには、天武6年(677)12月の荷札木簡として、国・評(郡)・五十戸などの行政区画表記と、貢進品(次米)に関する解釈が付されています。ここでは、次米が儀式用の糯米である可能性が高いなど、研究史も含めた丁寧な注記があります。
この種の木簡は、「国家が何を、どの単位で、いつ集めたか」を示す実務証拠なので、制度(戸籍)と経済(貢納)が一体だったことを説明しやすくなります。
富本銭は何を意味するか(象徴としての貨幣)
一方で、飛鳥池遺跡では富本銭が出土し、奈良文化財研究所は「和同開珎以前に漢字銭が流通した可能性」を示す発見として位置づけています。
ただし、これを「経済が直ちに貨幣化した」と短絡するのは危険です。研究所自身が国家形成期の経済政策を考える上で重要と意味づけるのは、むしろ貨幣が「統一的な制度・権威の象徴」になり得る点です(ここは一次情報からの解釈です)。
地政学と対外関係
半島情勢の帰結としての防衛・外交
朝鮮半島では、唐・新羅連合が百済(660)・高句麗(668)を滅ぼし、統一新羅期へ移行した、と要約できます。
この環境下で日本側は、侵攻への恐怖を前提に西の拠点を整備します。大野城跡は、663年の敗北後に唐・新羅の侵攻に備えて665年に築かれ、ミズキなどとあわせて博多湾方面の防備を強化した、という説明が提示されています。
遣唐使の中断と再開(公式文書で確認できる大枠)
外務省(国土交通省ではなく別組織ですが、以下は外務省資料です)の公開PDFでは、白村江戦から壬申の乱を経て「31年間の遣唐使中断期」があり、701年に大宝律令が成立すると遣唐使が再開される、という整理が示されています。
新羅との往来と「文物移入の回路」
遣唐使が中断しても、文化の流入が止まったわけではない、という説明が公的解説に見られます。高句麗・百済の遺民流入や新羅への使節派遣を通じて文化の受容が継続した、という筋道です。
ここは、地政学の現実的な読みとして重要です。つまり、対外関係は「好き嫌い」ではなく、情勢に応じてルート(半島経由/直接唐)や目的(防衛/制度輸入)を調整した、と理解すると、天武・持統期の政策の合理性が見えます。
技術・都市計画・文化宗教
藤原京の都市計画(条坊制・工期・改作)
藤原京は、都城計画が天武期から動き、持統期に完成へ向かうものとして考古学的に議論されています。奈良県立橿原考古学研究所の紀要論文は、「新城」造営計画から藤原遷都までの造営過程を、考古資料にもとづいて整理し、浄御原令の編纂開始(681)と計画具体化の連動可能性など、制度と建設の結びつきに踏み込みます。
さらに国立歴史民俗博物館の研究報告(要約掲載)では、条坊施工には20〜30年の幅があり、701年の大宝令制定・公布に伴う改作・再整備の可能性を指摘します。完成した都市は「一度で出来た」のではなく、法と運用の更新に合わせて手直しされた、と読む視点が得られます。
土木・物流(水運が要という研究整理)
現代研究の到達点として、都城建設の土木技術を比較し、藤原京型と平城京以後型に大別できる、という整理があります。方格街区の施工精度、水供給・排水システム、既存条里の有無、瓦の供給体制などの差が論点に挙げられ、水運が資材輸送で重要だった、という説明も含まれています。
国家直轄の工房(飛鳥池遺跡)
奈良文化財研究所の英語解説は、飛鳥池遺跡出土木簡により「天皇」表記が天武期に遡ることを確認した点、富本銭出土の意義、そして工房が第一級の工芸品を扱う国家的施設だった点を明確に述べています。
また、飛鳥池の発掘報告(1998年)は、木簡から天武・持統朝に天皇号が成立していたことになる、と研究上のインパクトを述べつつ、同時に日付の齟齬など未解決点も残ることを明示します。一次資料は「証拠」ですが、同時に「問題点も含む」のが重要です。
宗教政策と儀礼(伊勢神宮・寺院造営)
伊勢神宮公式サイトは、式年遷宮が天武天皇の宿願で始まり、持統天皇4年(690)に第1回が行われた、と説明しています。
都城・制度・祭祀が一体だったことを示す代表例として、式年遷宮は「技術継承(建築)」「権威の更新(儀礼)」「資源動員(巨大事業)」が同居する制度だと説明できます。
仏教面では、薬師寺公式サイトが、天武9年(680)に皇后の病気平癒を祈って発願され、持統朝に藤原京で造営が進んだこと、史書や東塔銘文に言及があることを示します。
また奈良県の文化資源解説でも、本薬師寺跡が天武9年(680)に建立開始された前身寺院跡であり、国指定特別史跡で発掘調査が重ねられていることが説明されています。
文化(万葉集と持統像)
持統天皇の和歌は、一般には「万葉集に6首」といった説明が流布しますが、研究では「万葉集において持統天皇歌として位置付けられているのは巻一・二八番歌のみ」とする分析も提示されています。つまり、作品帰属や持統像は研究で揺れ得ます。
陵墓と葬制(公式と研究の見え方の差)
宮内庁の陵墓案内は、檜隈大内陵が天武・持統の合葬であること、所在地が明日香村野口であることなど、管理情報を提示しています。
一方、奈良県の解説では、檜隈大内陵が中世に盗掘され、その際の報告がきっかけで被葬者が天武・持統と指定されるに至った経緯、陵墓指定による開発制限と保存の効果などが述べられています。公式管理と研究・保存の関係を説明する素材になります。
持統天皇が「初めて火葬された天皇」と説明される例もありますが、葬制は史料の読みと考古学的証拠の両方が必要で、断定は慎重に扱うべき領域です(ここは断定の難しさの指摘です)。
研究史
近代以降、天武・持統期は長く史書(日本書紀など)中心に語られてきましたが、史書が政治的性格を持ち、後代の観念が遡って書かれるアナクロニズムがある点は、国際的研究でも繰り返し指摘されています。
そのうえで、発掘と出土文字資料(木簡)を核にした研究が、制度・物流・技術・工房の実態を押し広げました。奈良文化財研究所は木簡庫で個別木簡の年代・釈文・研究史を公開し、一次情報へのアクセスを整備しています。
さらに近年は、公的研究機関が発掘調査報告を全文PDF公開する動きが進み、2022・2023年度の発掘成果をまとめた報告書を刊行し、全国遺跡報告総覧で全文公開したことが告知されています(研究の透明性が上がっています)。
当時の課題
当時の最大の制約は、「制度設計」と「動員能力」が同時に問われたことです。法令は整備途上で、内容も現存しない。都城は巨大事業で、測量・排水・資材搬入・瓦供給などを外さない工程管理が必要。これは現代の研究でも、藤原京型都城の土木上の特徴や水運の重要性として整理されています。
対外的にも、663年の敗北後に侵攻を想定した防衛を迫られ、九州北部に要塞を築くなど、明確な安全保障上の課題がありました。
加えて、国号・称号・正統性は、史書が後代観念を投影しやすい争点で、木簡などの一次資料でも確実に言える範囲を慎重に詰める必要があります。
よくある疑問Q&A
Q. 天武天皇と持統天皇は、どちらが「律令国家を作った人」なのですか?
A. どちらか一人ではなく、天武=整備着手/持統=施行と実装と捉えるのが分かりやすいです。公的資料でも、天武朝で八色の姓・浄御原令制定・国史編纂着手、持統朝で浄御原令施行・庚寅年籍・班田制などが整理されています。
Q. 飛鳥浄御原令は現存しないのに、なぜ重要なのですか?
A. 現存しないからこそ、(1)どこが不明かを明示し、(2)日本書紀・続日本紀など後代史料から推定し、(3)制度運用の痕跡(戸籍・軍事規定など)で裏取りする、という史料読解の訓練になります。律(刑法体系)の有無も含め、現代解説でも不明点を明記しています。
Q. 壬申の乱は、社会に何を残しましたか?
A. 勝者が強い王になった、だけではありません。乱後に中央集権化(法令の編纂、官制整備、都城計画)が加速した、という因果で説明されます。
Q. 藤原京は何が「初」なのですか?
A. 考古学・制度史の両面で、藤原京は条坊制都城の成立過程を検討する核心です。条坊施工に年代幅があり、大宝令との整合のため改作の可能性が指摘されています。つまり「初の完成形」というより、「初の本格プロトタイプ」と言う方が誤解が少ないです。
Q. 「天皇」という称号はいつから確実に言えるのですか?
A. 少なくとも天武期に遡る「天皇」表記の木簡が、飛鳥池遺跡から出土している、というのが一次資料ベースの強い根拠です。ただし、木簡の解釈や史書の用語の遡及には注意が必要で、断定は「木簡が示す範囲」に留めるのが堅実です。
Q. 富本銭は「日本最古の貨幣」なのですか?
A. 奈良文化財研究所は、和同開珎以前に漢字銭が流通した可能性を示す発見として位置づけています。ただし、貨幣がどこまで経済の中核だったかは別問題で、当面は「国家形成期に貨幣的媒体が現れる意義」を慎重に説明するのがよいです。
Q. 持統天皇の政治で、宗教は何をしていたのですか?
A. 伊勢神宮の式年遷宮は、天武の宿願を起点に持統4年(690)に第1回が実施されたと公式に説明されています。巨大な儀礼は、権威の更新と技術・資源動員を同時に成立させる国家事業として読めます。
Q. 持統天皇は女性なのに、なぜ政権が安定したのですか?
A. ここは単純な個人の能力ではなく、制度(法令・官制)、台帳(戸籍)、都城(統治拠点)をパッケージで整備し、継承可能な統治の型を作った点が鍵です(構造的解釈)。一方で史書の叙述は政治的性格を強く持つため、木簡や発掘成果で実務の側から補う必要があります。
参考
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