古墳時代は、古墳(前方後円墳などの墳丘墓)・ヤマト王権・埴輪・須恵器・渡来人(大陸からの移住・技術者)といったキーワードで理解すると、政治(権力の可視化)から経済(労働動員・交易)までを一本の線で説明できる時代です。結論から言うと、「墓=政治の舞台」として巨大土木と葬送儀礼が社会の統合を支え、同時に朝鮮半島や中国との交流が技術・人口・制度の変化を加速させ、のちの律令的な国家(法と文書で統治する枠組み)へ橋渡しをした局面と捉えるのが最も説明力があります。
本記事は、一般読者が「古墳時代とは何か」をゼロから理解し、背景・政治・経済・地政学・技術・文化・研究史までを体系化して、検索ユーザーの疑問(Q&A)に答えつつ、自分の意見や行動指針(何を根拠にどう判断するか)を持てることを目的にまとめています。一次情報(遺跡・遺物・銘文・公的データベース)と査読研究(古代DNA・環境復元など)を併用し、不明点は不明、推測は推測と明示します。
小まとめ
古墳時代は「古墳を造る文化」が列島規模で広がった時代であり、古墳の形・規模・配置が、支配者層の階層差と政治秩序(中心と地方の関係)を目に見える形で示します。
主要キーワードは、古墳(前方後円墳/円墳/方墳)、葺石、埴輪(円筒埴輪・形象埴輪)、副葬品(武器・甲冑・装身具)、渡来人、交易(鉄・鏡など)、銘文資料(稲荷山鉄剣・七支刀)です。
概要
古墳時代の定義は、通常「古墳(mounded tombs)が造られた時代」で、年代は資料によって幅があります。たとえばユネスコの世界遺産解説では、古墳時代を概ね3〜6世紀とし、古墳(kofun)は日本に約16万基ある中から代表例が選ばれている、と説明しています。
一方、文化庁の日本遺産ストーリーでは、古墳造営の展開を紀元3〜7世紀とし、約16万基以上の古墳が造られた、としています。ここから分かるのは、古墳時代の境界(いつからいつまで)は、地域差・型式差・後続期(飛鳥期)との接続のさせ方によって揺れる、ということです。
スコープとしては、
- 古墳=墓だけでなく、古墳が担った政治的機能(権力継承の確認・中心—地方の結合)
- 土木・生産・交易・人口移動(渡来)を含む経済・社会の変化
- 東アジア情勢(朝鮮半島諸勢力・中国王朝との外交・資源獲得)
までを含めて捉える必要があります。これは、世界遺産の説明でも、古墳が階層構造の可視化や葬送システムの高度さを示すとされ、武器・甲冑などの副葬品や埴輪が言及されている点からも裏づけられます。
結論の見取り図は次の通りです。
- 背景:稲作・集落の展開(弥生→古墳)、環境変動の中で社会が再編
- 政治:首長層の連合と階層化が古墳というモニュメントで表象される
- 経済:大規模土木を可能にした余剰と動員(労働・貢納)+対外交易(鉄等)
- 地政学:海峡・海上交通を介した資源と技術の獲得が競争と統合を促進
- 技術・文化:埴輪・須恵器・甲冑などに具体化し、儀礼が秩序を支える
- 研究史:発掘・年代・DNA等の方法更新で理解が継続的に書き換わる
時代背景
地理(列島・中核域・分布)
古墳は列島各地に分布しますが、巨大前方後円墳が集中する中核域(しばしば「畿内」と総称されます)の存在が、政治的中心の形成と結びついて議論されます。世界遺産の説明でも、百舌鳥・古市古墳群が大阪平野の台地上にあり、49基が精選され、日本に総数16万基ある古墳の中でも古墳時代を代表する物証だとされています。
また、国立歴史民俗博物館のFAQでは、前方後円墳は3世紀頃に奈良盆地で成立し、西日本へ広がり、5世紀頃には東国も統合される、という専門家(元研究部)の見解が示されています。
気候(モンスーンと変動、ただし断定しない)
列島の生業に強く影響するのは夏季の降水・気温、すなわち東アジア夏季モンスーンの変動です。近年の査読研究では、中央日本の樹木年輪セルロースの酸素・水素安定同位体を統合し、過去2600年の夏季気候(降水などに関わる水文気候)を年~千年スケールで復元する試みが示されています。稲作社会にとって夏の水文気候が重要であることも、同研究の問題意識として明記されています。
ここは重要な注意点ですが、この種の復元は「古墳時代に○○が起きた」と単純に断定できるものではありません。地域差・指標の限界があり、社会変化との因果は慎重に扱う必要があります(ここは推測です、という線引きが必須です)。
参考として、世界史側では西暦536年以降の寒冷期(いわゆるLate Antique Little Ice Age)を示す研究もありますが、日本列島内での具体的影響の確定は、史料・年代精度の制約が大きく、安易な結論は避けるべきです。
人口(推計の前提と限界を明示)
古墳時代の人口を統計のように示すことは難しいです。理由は、全国規模の戸籍・税帳のような連続データが古墳時代には基本的に存在せず、推計は、集落規模・住居数・耕地拡大・埋葬の規模などからの間接推定になり、前提(同時存在戸数、世帯人数、耕作率など)で数字が振れます(ここは不明です)。
ただし、考古学・古代DNAの知見から「人の移動(渡来)と混合が相当規模で起きた」ことは、少なくとも一部サンプルでは支持されています。後述する古代ゲノム研究では、古墳期個体は弥生期個体とは祖先成分が異なり、追加的な大陸由来成分(東アジア系)流入を示す分析結果が提示されています。
一次情報(何が一次で、どう読むか)
古墳時代を支える一次情報は大きく3層あります。
- 考古資料:古墳(墳形・葺石・周濠・埴輪配置)、副葬品(武器・甲冑・装身具・鏡・馬具)、土器(須恵器・土師器)など
- 文字資料:同時代ないし近接時代の対外記録(中国史書の倭に関する記述など)と、8世紀に編纂された古事記・日本書紀のような国史(※編纂時期が後世である点に注意が必要です)
- 銘文資料:遺物に刻まれた文字(同時代性が比較的高い)
銘文資料の代表として、稲荷山古墳出土品の「金錯銘鉄剣(きんさくめいてつけん)」は、5世紀の社会変容期の希少な同時代史料で、現存最古の日本の文章とも位置づけられ、氏族の在り方や古代史研究に価値が高いと、国の文化財データベースが解説しています。
また石上神宮伝来の「七支刀」は、金象嵌銘文の判読が難しく諸説がありつつ、百済との関係を示唆する可能性や、日本書紀記事との対応が論じられると、同神宮の公式説明(日本語・英語)で述べられています(ここは確定ではなく解釈の争点です)。
このように、一次情報でも「同時代性の強弱」「後世の政治的編集の可能性」「解釈の争点」をセットで扱うのが安全です。
近年の査読研究(古代DNA・環境復元・年代)
近年の大きな更新は、古代ゲノムと環境復元の統合です。古代ゲノム研究では、弥生→古墳の間に追加的な大陸系移住があり、現代日本人の成立に「縄文・弥生・古墳」の三者が寄与したモデルが提示されています(ただし古墳期サンプルは限定され、無作為抽出でもないため、一般化には注意が必要です)。
環境側では、関東平野の花粉・植物遺体・炭化物の直接年代測定から、弥生中期~古墳初期にかけて稲作への比重が高まり、採集(野生植物利用)が相対的に見えにくくなる傾向などが示されています。これは「農耕の強度」「移住・文化拡散」を検討する基盤になります。
博物館/研究所公開(読者が自分で一次情報に当たる導線)
一次情報に最短で触れる方法は、公式データベースと博物館公開を使うことです。たとえば奈良文化財研究所が運用する全国遺跡報告総覧は、日本の発掘調査報告書をデジタル化し、全文検索・閲覧できる電子アーカイブだと説明しています(学術資源が一般に届きにくいという課題に対処する目的も明記されています)。
また文化遺産オンライン(文化庁の連携事業)や、東京国立博物館の所蔵品データベースは、埴輪・鉄剣・鏡など具体物に直結します。たとえば家形埴輪の解説では、埴輪が古墳上・周囲に立てられ、円筒→形象→人物・動物へ展開し、葬送儀礼と支配の正当化に関わった可能性が説明されています。
政治的視点(権力・共同体・階層・法)
古墳時代政治の中核は、権力の継承と序列を、墓制(古墳)で示すことです。世界遺産の説明でも、古墳の形態(鍵穴形・帆立貝形・円・方)や規模差が、社会階層差と高度な葬送システムを示すとされています。
藤尾慎一郎氏(国立歴史民俗博物館の元研究部)は、前方後円墳を「円墳+方墳の組合せ」とし、方形部を祭壇的な場とみる考え方を紹介し、成立(奈良盆地)→西日本→東国という拡大像を述べています。これは「葬送儀礼=政治のシンボル」という理解を支える専門家見解です。
ここで重要なのは、古墳時代の統治が、後世の律令国家のように法と文書で領域を一元管理する形と同一視できない点です。古墳そのものが全国に城郭や宮殿が見つからないのに、巨大墳墓に膨大なエネルギーが注がれたという性格を持つ、と世界遺産の説明は述べています。つまり、政治の重心が象徴・儀礼・人的結合に寄っていた可能性が高いです。
法の観点では、古墳時代の成文法を直接示す同時代文書は乏しいため(ここは不明です)、後世編纂の日本書紀や考古資料から、官人・職掌の萌芽、地方支配の枠組み(国造・屯倉など)の形成を間接的に復元するのが一般的です。
経済的視点(生産・交易・貨幣/交換・税・労働)
生産(農耕・手工業)
古墳時代の経済基盤は、基本的に農耕(稲作)と地域資源に支えられ、そこに鉄器・土器・繊維などの手工業が組み合わさります。関東平野の研究では、弥生から古墳初期にかけて稲作により比重が移る様子が、植物遺体と花粉記録から示されています。
手工業は地域差が大きく、須恵器生産や鉄器加工などを含む生産体制と社会分業は、近年も重点テーマとして整理されています(日本考古学協会の年次研究動向)。
交易(資源・技術・威信財の移動)
交易は生活必需品だけではなく、「政治的威信財」(鏡・装身具・武器)や「戦略資源」(鉄)を含みます。古代DNA研究の解説部分でも、中国鏡・中国銭・鉄に関する資源アクセスが列島内の競争を強め、対外政治接触を促した可能性が述べられています。
また、宗像関連の公開資料では、五銖銭が朝鮮半島側だけでなく福岡や壱岐でも見つかること、海峡交易に商人集団が関わった可能性、鉄獲得が渡海の主要動機だったことなどが説明されています。ただし五銖銭がどの程度通貨として機能したかは議論があったとも書かれており、地域・時期・用途(実用/儀礼)を切り分けて読む必要があります。
貨幣/交換(いつ貨幣経済になるのか)
古墳時代の大部分では、国家的な鋳造貨幣が社会を貫く形では確認しにくく、交換は現物(穀物・布・鉄など)中心だったと考えるのが安全です(ここは推測です)。
貨幣鋳造の画期は7世紀後半〜奈良時代に寄ります。日本銀行の貨幣FAQでは、708年の和同開珎が日本最初の貨幣と長く考えられてきたが、1998年の飛鳥池遺跡の発掘で富本銭がそれ以前に鋳造されたことが分かった、と整理されています。
同時に、東京国立博物館の解説では、和同開珎(708年)が「流通を目的とした鋳造の本格的な試み」と説明されています。古墳時代末〜飛鳥・奈良への移行期で、交換の仕組みが変わり始める点は、経済史の重要な接続部です。
税・貢納(制度の復元と限界)
税に相当するものは、律令制以前は「貢納(物資の上納)」と「労働奉仕(動員)」として現れることが多く、屯倉(みやけ)をめぐる議論もその文脈で扱われます。これは、後世史料(日本書紀など)の記事と、古墳・集落遺跡の分布・規模、倉庫群遺構などを突き合わせて復元されます(ただし史料制約は大きく、ここは不明です)。
労働(巨大古墳が示す動員能力)
労働動員の象徴が巨大前方後円墳です。大仙陵古墳(伝統的に仁徳天皇陵に比定されることが多い古墳)について、百舌鳥・古市側の英語リーフレットでは、古代工法で築造すると仮定した場合、1日2000人規模で15年8か月、延べ約680万人日が必要だった、という推計が示されています(推計なので前提依存です)。
この種の推計は、①土量(体積)②運搬距離③使用工具④作業効率⑤農繁期回避の稼働日数、等の仮定で大きく変わります。したがって、数字は「権力がどれほどの余剰(食料・時間)と組織を持ちえたか」を考える思考実験の材料として用いるのが適切です(ここは推測です)。
地政学的視点(勢力圏・交通路・交易圏・紛争)
地政学の基礎は勢力圏の可視化にあります。世界遺産の説明では、古墳は日本に16万基あり、その分布が古墳文化(古墳を通じた社会的位置の表現)が広い範囲で共有されたことを示す、という趣旨で述べられています。
交通路として決定的なのは海上ルートです。海峡を越えた鉄獲得・交易は、対外関係を資源面から駆動します。宗像関連の公開資料でも、海峡交易の危険(沈没による損失)と、それに対する儀礼の位置づけが説明されています。
外交圏については、百舌鳥・古市古墳群の世界遺産文脈で古代日本列島を支配し、東アジア諸勢力との外交にあたった王族・有力者の墓と位置づけられています。つまり、古墳は国内秩序だけでなく、対外関係を含む王権の表象でもあります。
紛争(対立)について、考古学的に確実に言えるのは武器・甲冑・馬具が副葬品として多数扱われる点です。これは軍事的緊張や武威の誇示を示唆しますが、具体的な戦争の実態や規模を墓だけから断定することはできません(ここは不明です)。
一方、朝鮮半島では古代国家間の抗争が交易環境を変えた、という説明も公開資料にありますが、これは地域史料に基づく主要仮説として扱い、単線的な因果(戦争→日本の統合)に還元しないのが安全です(ここは推測です)。
技術的視点(主要技術と制約、考古学的根拠)
土木・築造技術(墳丘・周濠・葺石)
古墳時代の代表技術は、土木(盛土)と外装(葺石・段築)、そして周濠の造成です。世界遺産の説明は、古墳が幾何学的に精巧な設計(鍵穴形など)を持ち、石敷きと埴輪で装飾され、土による建設技術の卓越を示すとまとめています。
ここで制約になるのは、動力が基本的に人力であることです。文化庁の説明でも、古墳時代は人力で築き上げた土木工事ラッシュと表現されます。つまり、技術の核心は機械ではなく、共同労働の組織にあったと整理できます。
窯業(須恵器)
高温焼成の須恵器は、古墳時代後半〜奈良へつながる物質文化の基盤です。研究動向整理でも、須恵器の出現期、地域ごとの生産体制、社会分業との関係、供献儀礼が議論されているとされ、単なる器ではなく社会構造を読む鍵になっています。
金属技術(鉄器・甲冑)
武器・甲冑は、技術史と政治史をつなぐ高付加価値製品です。査読誌(日本考古学協会の英語誌)では、古墳時代の鉄製甲冑(iron-framed armour)の技術系譜と発展過程を議論し、設計原理や組立工程の変化を追跡しています。甲冑の型式変化は年代論にも影響しうるため、技術は単なる道具史ではなく編年・権力論とも結びつきます。
制約は、原料(鉄)と加工技術(鍛造・接合)です。公開資料でも、列島内で高品質鉄の生産技術が十分でなかったため、鉄獲得が渡海の主要動機になった、という説明がありますが、時期や地域差は大きいので、断定は避けるべきです(ここは推測です)。
文字技術(銘文・文書化への移行)
古墳時代は文字がない時代と単純化されがちですが、正確には社会全体を貫く文書行政は未発達だが、銘文など限定的な文字資料は存在する、です。稲荷山鉄剣の銘文は、その代表例として国のデータベースが高い史料価値を明示しています。
また七支刀は、銘文の判読が困難で諸説があり、国家間関係の解釈が分かれること自体が重要です。公式説明で「まだ不確実」「複数解釈」を明言している点は、史料批判の教材になります。
文化・宗教的視点(儀礼・価値観・生活・芸術)
古墳時代の文化は、葬送儀礼を中心に、山・川・道・海などの場での祭祀が政治と結びつく形で展開した、とする見解があります。宗教研究の論文では、首長が主要な祭祀を主宰し、首長の葬送が最大の儀礼として古墳築造に結実する、という枠組みが提示されています。
埴輪はその儀礼の装置です。文化遺産オンラインの解説では、埴輪は古墳の上や周囲に立てられる素焼きの焼き物で、円筒埴輪から始まり、甲冑・盾・船・家などの形象埴輪、人物・動物へ展開したとされます。さらに家形埴輪は古墳頂部から出土しやすく、他の埴輪と異なる特別な意味(支配者の力の象徴)を持つ可能性が述べられています。
ここから、価値観として死者(支配者)の権威を共同体で可視化し、次の支配者が地域をまとめる儀礼が重要だった、という像が導けます。これは推測ではありますが、埴輪配置や古墳規模の階層性という物証と整合します。
生活面では、古墳の周辺景観が残る地域(例として宮崎平野の古墳景観が紹介されています)から、古墳が日常空間の中の特別な場所であったことが想像できます。ただし当時そのままの生活を復元するのは難しく、復元は大胆な想像になり得るという専門家の注意喚起もあります。
歴史的視点(前史との繋がり)
古墳時代は、弥生の稲作社会の上に立ち、集落・祭祀・対外交流が再編される局面です。環境復元研究では、弥生の農耕が段階的に強まり、古墳初期に稲作への比重が高まることが示されています。これは「余剰の増大→動員能力→巨大古墳」という仮説の基盤になります(ただし、余剰と動員の因果は単純ではなく、ここは推測です)。
また古代ゲノム研究は、「農耕導入(弥生)」と「国家形成(古墳)」が異なる移住波を含む可能性を提示し、文化変化と人口変化を切り分けて検討する枠組みを与えています。
したがって前史との繋がりは、
- 弥生:農耕・金属器・広域交流の拡大
- 古墳:墓制を通じた政治統合と階層化、対外資源・技術の取り込み
- 飛鳥〜:文書・法・貨幣など制度化の加速
という連続の中で理解すると説明しやすいです。
研究史(学説の更新と争点)
研究史を押さえることは、読者が混乱しやすい論点(邪馬台国、天皇陵、任那など)を冷静に扱うために必須です。
- 方法の更新:近年の大きな変化は、DNA・同位体・高精度年代・環境指標などの学際化で、弥生→古墳の人口移動や農耕強度が新しいデータで検討されるようになりました。
- 争点の典型:七支刀の銘文解釈のように、同じ一次資料でも複数解釈が並立し、国家関係の読みが分かれます。公式説明でも「確定していない」「解釈が複数」と明示されています。
- 公的研究動向:日本考古学協会は、年次研究動向の概説で、古墳時代研究の主要テーマ(王権論、古墳構造、移住、須恵器、埴輪配置、鉄素材供給など)を整理しており、何が今の最前線の問いかを俯瞰できます。
当時の課題(制約・リスク・持続性・対立)
制約(資源と組織の限界)
最大の制約は、巨大古墳に象徴されるように、土木に必要な人手・食料・時間・統率をどう確保したかです。推計では2000人規模・15年以上という数字が示されますが、これは可能にする制度と合意形成があったことを示唆します(ここは推測です)。
リスク(海上交易・政変・疫病・飢饉)
海上交易は沈没・暴風・略奪などのリスクを伴い、公開資料でも交易の損失が壊滅的になり得ると述べられています。これに対し儀礼が関与した可能性も示されています。
一方、疫病や飢饉が政治秩序に与えた影響は、因果を確定しにくい領域です。気候変動が稲作に影響し得るのは確かですが、だから古墳が造られた/造られなくなったといった単線的説明は危険です。
持続性(環境負荷と社会的コスト)
古墳の築造は、土地改変・資材(葺石・焼成)・労働集中を伴います。これが長期的に持続可能だったかどうかは、地域別の古墳築造の終息や、墓制の変化(終末期古墳、横穴式石室など)と合わせて議論されますが、単一要因で説明するのは難しいです。
対立(中心—地方、対外関係、史料解釈)
対立は、当時の中心—地方関係だけでなく、現代の史料解釈でも顕在化します。天皇陵(陵墓)をめぐる調査制約・公開範囲も研究上の論点です。日本考古学協会の意見表明は、陵墓を人類共有の歴史文化遺産として保存・公開を求めつつ、宮内庁との交渉と立入り観察の経緯(2007年方針、2008年開始、観察で得られた知見)を記しています。研究の限界条件を知る上で重要です。
よくある疑問Q&A
Q:古墳ってそもそも何ですか?(定義)
A:古墳は、土を盛って造った墳丘を持つ墓(mounded tomb)で、形は鍵穴形(前方後円墳)、円、方、帆立貝形などがあります。3〜6世紀(資料によっては7世紀まで)に集中し、日本に約16万基あると説明されています。
Q:前方後円墳はなぜ“鍵穴形”なのですか?(意味)
A:決定的な一次資料(当時の説明文書)がないため、なぜその形かは不明です。ただし、研究者の説明として、円形部が埋葬、方形部が祭壇的な場で、政治権力と祭祀のシンボルだった可能性が紹介されています。
Q:古墳時代はいつ始まり、いつ終わるのですか?(年代)
A:一般化すると3世紀頃に始まり、6世紀〜7世紀にかけて変質していきます。ただし定義は揺れます。世界遺産の説明は「3〜6世紀」とし、日本遺産の説明は「3〜7世紀」としています。したがって記事では「古墳築造が社会の中心だった時期」を核に理解するのが実用的です。
Q:古墳は誰が造らせたのですか?(担い手)
A:基本的に支配者層(エリート)の墓とされ、古墳の規模・形が階層差を示すと説明されています。巨大古墳の存在は、指揮・設計・労働動員・食料供給などの組織力があったことを示唆しますが、具体的な命令系統や制度は同時代史料が乏しく、確定は困難です。
Q:どうやってあれだけ大きい古墳を人力で作れたのですか?(工法・労働)
A:推計の一例として、古代工法で築造すると仮定した場合、1日2000人で15年以上(延べ約680万人日)という試算が公表されています。これは可能な動員能力の目安ですが、前提(稼働日、運搬距離、土質など)で変わるため、数字は絶対値ではなく、社会組織を考える材料として扱うのが適切です。
Q:埴輪は何のために並べたのですか?(儀礼・役割)
A:埴輪は古墳上・周囲に立てられ、円筒から形象、人物・動物へ展開したとされます。家形埴輪の解説では、古墳上で葬送儀礼が行われ、次の支配者が地域をまとめるための儀礼でもあった可能性が述べられ、埴輪が権威の象徴だったという見立ても示されています。
Q:古墳時代に“文字”はありましたか?(文字資料)
A:文書行政としての文字は未発達ですが、銘文のような文字資料はあります。稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣は、5世紀の希少な同時代史料で、現存最古の日本の文章ともされます。一方で七支刀の銘文は腐食があり、解釈が複数で不確実性が残る、と公式説明が述べています。
Q:天皇陵(陵墓)は発掘できるのですか?(調査制約)
A:一部は宮内庁が管理する陵墓(Ryobo、imperial mausolea)として扱われ、世界遺産の説明でもその管理が言及されています。
発掘・公開は制約が大きく、学術団体は保存と公開の拡充を求めつつ交渉を続けています。日本考古学協会の意見表明では、2007年の取扱方針で墳丘第1段までの立入り観察が可能になったこと、立入りで埴輪・葺石の状態など新知見が得られたことが述べられています。
Q:古墳時代の“渡来人”や大陸との関係は、どこまで確実ですか?(エビデンス)
A:確実性の高い証拠としては、①遺物(大陸系装身具・鏡・技術)②銘文資料③古代DNAなどの複線があります。たとえば江田船山古墳出土品は、一括遺物の装身具に古新羅の遺跡出土品と同種があることなどから、5世紀頃の列島と大陸の交渉を物語ると国のデータベースが解説しています。
古代DNA研究でも、古墳期に追加的な大陸由来成分の流入が示唆されます。ただしサンプル数・代表性の限界があるので(論文自体も注意点を述べます)、これだけで単一の歴史物語に固定するのは避けるべきです。
参考
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https://www.mozu-furuichi.jp/en/ - 文化庁(日本遺産ポータルサイト). n.d. 「古代人のモニュメント—台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観−STORY #067」.
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story067/ - 国立歴史民俗博物館. n.d. 「よくあるご質問(前方後円墳など)」.
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